研究プロジェクトの申請書が完成!
研究プロジェクトの申請書が完成。
ディスカッションを重ねたかいがあって、初めとは見違えるほど良くなった。
特に頑張ってくださった大手メーカーの研究員の方に感謝だ。
なんといっても、研究のフィロソフィーが明確に表現できたことがいい。
初めは、学習時における記憶力や集中力を高めて学習効率を上げることばかりにとらわれていた。
チマチマした袋小路に入り込んでいたときに、「今の時代に人間にとって何が必要なのか、もっと根本的なことを議論しなさい」という主任教授の一言で、流れが一気に変わった。
人間のコミュニケーションは、多様だ。
表情や声質や身振りで、感情を伝えあっている。
でも、デジタル化された今の通信技術は、文字情報を伝えるのが最も簡単だから、結果として、文字情報だけが優先的に伝えられる社会が出来上がっている。
若者が携帯メールにはまるのは、アンバランスな技術が根本的な原因なのだ。
人間同士のコミュニケーション能力が落ちるのは、当たり前。
人間の能力のごく一部しか使っていないからだ。
これが、今の教育の崩壊の最大の元凶となっている。
増える一方の不登校。
手のつけられない学級崩壊。
気の抜けたサイダーのような無気力な生徒たち。
根はみんな同じだ。
人間社会のための通信技術であるはずが、通信技術のための人間社会になっている。
だったら、技術の方を人間に合わせればいい。
これが私の考えるソリューションの根本的なフィロソフィーだ。
学習している生徒の自律神経を測定するのだが、これは注意しないと、変なことになってしまう。
社会から見れば、一見、人間をロボットのように見なしているように誤解を受ける可能性があるからだ。
もちろん、自律神経を測定する目的は、集中力や疲労度をモニターし、最適な学習ができるように支援することにある。
だが、人間、特に子どもを対象とする場合は、「成績が上がったから結果オーライ」というわけにはいかない。
仮に成績が上がっても、人間性から逸脱するやり方だったら、それはアウトだ。
一時的には成績が上がっても、長期的に見れば、必ず弊害が出る。
だからこそ、「子どもの成績を上げるには、自律神経はどうあるべきか」という方向で研究を進めてはいけない。
技術によってゆがめられている人間性を、元に戻すにはどうしたらいいかという発想が必要だ。
その延長上に、成績のアップが後からついてくると確信している。
ディスカッションを重ねたかいがあって、初めとは見違えるほど良くなった。
特に頑張ってくださった大手メーカーの研究員の方に感謝だ。
なんといっても、研究のフィロソフィーが明確に表現できたことがいい。
初めは、学習時における記憶力や集中力を高めて学習効率を上げることばかりにとらわれていた。
チマチマした袋小路に入り込んでいたときに、「今の時代に人間にとって何が必要なのか、もっと根本的なことを議論しなさい」という主任教授の一言で、流れが一気に変わった。
人間のコミュニケーションは、多様だ。
表情や声質や身振りで、感情を伝えあっている。
でも、デジタル化された今の通信技術は、文字情報を伝えるのが最も簡単だから、結果として、文字情報だけが優先的に伝えられる社会が出来上がっている。
若者が携帯メールにはまるのは、アンバランスな技術が根本的な原因なのだ。
人間同士のコミュニケーション能力が落ちるのは、当たり前。
人間の能力のごく一部しか使っていないからだ。
これが、今の教育の崩壊の最大の元凶となっている。
増える一方の不登校。
手のつけられない学級崩壊。
気の抜けたサイダーのような無気力な生徒たち。
根はみんな同じだ。
人間社会のための通信技術であるはずが、通信技術のための人間社会になっている。
だったら、技術の方を人間に合わせればいい。
これが私の考えるソリューションの根本的なフィロソフィーだ。
学習している生徒の自律神経を測定するのだが、これは注意しないと、変なことになってしまう。
社会から見れば、一見、人間をロボットのように見なしているように誤解を受ける可能性があるからだ。
もちろん、自律神経を測定する目的は、集中力や疲労度をモニターし、最適な学習ができるように支援することにある。
だが、人間、特に子どもを対象とする場合は、「成績が上がったから結果オーライ」というわけにはいかない。
仮に成績が上がっても、人間性から逸脱するやり方だったら、それはアウトだ。
一時的には成績が上がっても、長期的に見れば、必ず弊害が出る。
だからこそ、「子どもの成績を上げるには、自律神経はどうあるべきか」という方向で研究を進めてはいけない。
技術によってゆがめられている人間性を、元に戻すにはどうしたらいいかという発想が必要だ。
その延長上に、成績のアップが後からついてくると確信している。